仏教では、亡くなられた方の亡くなった日を「命日」といっております。日本ではいつ頃から言われるようになったのかはっきりした資料は見つかりませんが、「念仏往生」と関係していることは確かでしょう。「お浄土へ生まれる」ことを往生といいますが、お浄土に生まれて「新たな」命を得たという意味で、亡くなった日つまり「亡日」とか言ってきませんでした。「命日」とは、阿弥陀様のおはたらきにより浄土(無量のいのちの世界)に生まれさせていただて、新しい命をいただいた、浄土へ誕生したことを意味してこのようにいってきました。
『仏説阿弥陀経』には、「臨命終時、・・・・即得往生、阿弥陀仏極楽国土」とあります。つまり「人は命が終わると(臨終)ただちに阿弥陀仏の極楽国土に往生させていただく(往きて生まれる)」と説いてあります。
また、お葬儀に参列された時によく聞かれると思いますが、喪主のご挨拶などで「〇〇生前中には大変お世話になりました・・・」と。この「生前」という言葉も「命日」につながって来ます。生きているときに大変お世話になったことのお礼の意味で、ご挨拶に使われる「生前」は「往生する前」つまりお浄土へ生まれる前、現世を意味しています。それ以上に「次の生」往生浄土が中心に語られていたからこそ、亡くなった日を「命日」と呼び、命日を迎える前の人生を生前といってきたのです。
「命日」「生前」という言葉を通して、お念仏の教えを味わっていただきたいと思います。
「ともかくも あなた*任せの 年の暮れ」(『おらが春』1819年12月29日作)