『騰騰』
このご法話では、良寛禅師と無縁でない「騰騰任運」という言葉の「騰騰」とは、事柄のなりゆきにこだわらない生き方、まさに良寛さんの生き方で、親鸞聖人の「他力の教え」に究極的には通じるものがあり、先生もありのままの姿で、ありのままの考え方で生きていきたいと話されておられています。最初先生に頂いて読んだ時にまず心に浮かんだこと、「学問に厳しかった先生のお姿は教授という仕事をして下さっていたのであって、本当は学生を見つめる目が愛情そのものであったのだ」と改めて思い出しました。先生は現在、ご高齢ではありますが西山深草派誓願寺の管長として勤めておられます。先生の益々のご健勝を願っております。
「騰騰」とした生き方で思いつくのが、有名な宮沢賢治の詩です。「雨ニモマケズ」の最後の所に出てくる有名な言葉「ミンナニ デクノボートヨバレ ホメラレモセズ クニモサレズ サウイウモノニ ワタシハナリタイ」です。宮沢賢治は盛岡農林学校を卒業した後は、農学校の教師をつとめ、教師を辞めても農民の幸せのために努力をします。羅須地人協会なるものを発足して、荒地を開墾し、外国から野菜や花の種子を手に入れて栽培をしました。またその協会で農林学校の生徒をあつめてエスペラント語、土壌学、植物生態学など幅広い勉強会をもっていたようです。その願いは地元の農民も広く世界に繋がっていることを、そして多くの人々の幸せが個々の幸せにつながっている思いが広がることでした。その精神は、まさに仏教に根ざす利他の精神でした。宇宙の中の自分が、すべてのものに繋がって生きていること、万人が等しく幸せになることを願って生きた賢治の姿は、自由な精神の中に生き、聖者の求道に通じる姿であったことと推測します。しかし賢治が本当に「騰騰」と生きた方かと言えば、知るすべもありまあせん。
「騰騰」と生きるということは私とって理想ではありますが、そのように心が定まらないので難しいことかもしれません。自らを煩悩具足の凡夫といわれ、大きな力(他力)に任せた「自然」(じねん)人生を生きられた親鸞聖人が今この時代にどのように歩んでで下さるだろうか・・、と考えて日々過ごしたいと思っています。